NAZE事務局スタッフ「リレーコラム」:No38
○第38回目は、地域連携コーディネーター:市野之彬が担当します。
「あれから4年・・・」
・私が長岡産業活性化協議会(以下NAZEと表記)に地域連携コーディネーターなどという想定外の仕事に関わるようになってからまもなく4年度が終わる。この古さはNAZE事務局では最古参、NICOの事務所を含めても3番目の古参である。
・平成17年7月某日夕、長岡電子㈱の桑原社長から電話が来た。「県と市と商工会議所が作った何とかかんとか会のブランド部会で盛んに議論するんだけど発散ばかりしてサッパリまとまらん。お前、どうせ家でブラブラしてるんだろうから一寸来てみね~か?」。何のことやらサッパリ分からなかったが「一寸来てみね~か?」に釣られて迂闊にもOKした。詳しくはマコーの松原さんから電話させるという。マコーの松原さんは桑原社長の仲間であり名前だけは知っていたが会ったことはない。
・その頃、長年勤務した会社を定年退職していた私は、VE-Labo代表(通称べラボー)などという怪しげな名を名乗っていたが実態は母の介護と主夫業であった。他に期間雇用の大学講師、町内会副会長もこなしていた。面白いもので時期を同じくして某社から工場改善のコンサルタントの依頼がありこれも引き受けていた。したがって結構忙しい。家でブラブラどころではない。暇があるとすれば母を他所に預ける僅かな期間しかない。
・松原さんから電話が来た。「長岡産業活性化協議会って聞いたことがありますか?」、「いいえ、ありません」、「NICOって知ってますか?」 「いや、知りません」私が知っているNICOは倒産した新潟鉄工の関連会社、新潟コンバーターの事である。松原さんの言うNICOは「にいがた産業創造機構」、昔の信濃川テクノポリス開発機構の建物の中にあるという。こんなトンチンカンの話のあと兎に角一度お目に掛かりましょうということになった。場所はNICOの会議室。行ってみると松原会長、総合プロデューサーの嶋田先生以下当時のNAZEメンバー、それに隣の中越支援センター長、野中さんまで総勢7、8名に取り囲まれた。何を喋ったか覚えていないが結構生意気なことを言っていた気がする。
・かくしてNAZEの地域連携コーディネーターが1人誕生した。当時はまだNAZEの認知度が低く会員企業の事務員さえも名前を知らない。例えば会員企業に電話をする。「NAZEの市野ですが○○さんをお願いします」「アノ~鍋の市野さんですか?」「いえNAZEの市野です」「ナべ???」という具合である。綾小路きみまろではないが「あれから4年」今では少なくとも会員企業間ではこのような会話はなくなった。そして、ただの団体であったNAZEは新年度からNPO法人になる。 昨今“チェンジ!” がもてはやされている。新しき皮袋には新しき酒がふさわしい。
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※“鍋からNAZEへ”・・4年の歳月が認知度を大きく向上させました。コーディネーターの誕生秘話に、当時の状況がよく表われています。 不遇?の時代を経験された最古参ならではの、重みある体験談でした。
※次回2/18号は、地域連携コーディネーター:福島忠男が担当します。・・・ No39を見る
