NAZEメール

2008.05.21

NAZE事務局スタッフ「リレーコラム」:No19

○第19回目は、今年度より地域連携コーディネーターの肩書きでさらなる精力的な活動を展開することとなりました、市野之彬が担当します。

「越佐歯車懇話会のことなど」

 ・越佐歯車懇話会といってもご存じない方がほとんどと思います。 越佐歯車懇話会は今から30年前、昭和53年(1978年)に㈱長岡歯車製作所の内山社長(当時)が県内企業の歯車関係者と大学・高専の歯車研究者に呼びかけて立ち上げた歯車屋の団体です。一般的に産学官連携事業は官がお膳立てをし、産、学がそれに乗るという例が多い中で珍しいケースかと思います。

 ・当初、産学でスタートした会も後にNICOテクノプラザの前身(財)信濃川テクノポリス開発機構が加わり産学官連携の形になりました。この会は平成8年に解散するまで18年間続きました。会員数は最盛期で40社、新潟鉄工とその関連会社、オーエム、倉敷機械、三條機械、ツガミ等々県内の主だった企業、大学は新潟大学、長岡技科大、長岡高専が参加しています。

 ・1897年、池貝鉄工所を創立した池貝庄太郎(1869年~1934年)が日本で最初に歯車を機械加工し、その結果マザーマシンとしての工作機械が精度、能率ともに飛躍的に向上しました。これにより歯車は工業のシンボルとしての地位を得、研究も盛んに行われるようになってゆきます。

 ・余談ながら五円玉の穴の周りに殖産興業のシンボルとして歯車と稲穂がデザインされているのをご存知ですか?リポビタンDのラベルにもどうい訳か歯車が描かれています。(社)日本機械学会のマークは歯車そのものであり、歯車をデザインした国章(国のマーク)も見かけます。嘗て歯車はそれほど重要な産業でした。

 ・1931年~1944年に掛けて東北大学の成瀬政男、東京工大の中田孝、九州大の和栗明博士等により日本の歯車理論の基礎が築かれました。そして彼らの弟子や孫弟子達が全国各地に散らばり歯車技術修得の活動は1960年代頃から全国的に盛んになります。関西、関東を中心に、○○歯車懇話会が設立されて研修会が盛んに行われました。越佐歯車懇話会もこの流れに沿ったものと思います。

 ・さて、越佐歯車懇話会の活動は年2~4回の講演会又は工場見学会、その後必ず行われる懇親会という飲み会、これが定番で18年間、計54回の会合が持たれました。私は会の創立時から参加していました。会のメイン行事、歯車の大先生の講議はあまりにも高尚すぎてサッパリ解りませんでしたが、その後の懇親会では人脈作りに励んだおかげで会員会社との間でクレームが起きた場合など業務処理がスムーズに運び大いに助かった思い出があります。活動も後半になるとわれわれ企業会員も喋る羽目になり四苦八苦させられましたが、今になると良い修行の場であったと思っています。

 ・取りとめのない話をしたついでに取りとめのない結論を述べます。
1)池貝庄太郎が歯車を機械加工してから昨年で110年、工業のシンボルにまでなった歯車産業も昨今、サーボモータ等に駆逐され衰退産業化しています。栄枯盛衰は世の習いとはいえ感慨深いものがあります。先日ダイエー跡に開店した宮脇書店で歯車の本を探してみました。 最盛期あれほど多く出版された参考書も、今はほとんど絶版となり1冊も見当たりませんでした。

2)私は54回開かれた会合に欠席したのは2回だけです。 なぜそんなに熱心であったのか、答えは簡単です。「面白く、為になったから」。 この思いは会員皆同じであったと思います。であればこそ18年も 長く続いたのだと思うのです。大学の先生を含めて当時のメンバーとは会を離れた今でも付き合いがあります。     

NAZE地域連携コーディネーター 市野 之彬

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※さすが、NAZE事務局の最古参:市野コーディネーターからの非常に示唆に富んだ含みのあるメッセージでした。
 
 「越佐歯車懇話会」の活動にこそ、産業界が主体となって産学官連携の推進に向けたヒントがあり、まさにNAZEの原点であると感じました。 ちなみに今日の工場見学会は、㈱長岡歯車製作所さんと長岡歯車資料館を訪問させていただきました。このご報告はまた後日に・・・。

 NAZEも、「平成の越佐歯車懇話会」を目指し、会員の皆様にとって「面白く為になる」活動を展開していきたいと思います。そのためにも市野先輩を見習い「日々修行」の精神で頑張りたいと思います。

 次回は、6/4号で、福島忠男コーディネーターが担当します。・・・ No20を見る







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